2023/12/28:言葉が刺さる

日記

朝起きたとき、少し頭がスッキリしていた。昨日は電車の中で泣いたのだ。席に座り、項垂れて、泣いた。昨晩は疲れで心が麻痺するような感覚になっていたから、朝起きて元気になって良かった。

水を一杯飲み、愛猫を撫でて、散歩に出かけた。アパートの前に門松があり、年末だと改めて思った。今年は不思議な年だったと思い、少し奇妙な気持ちになった。散歩中は日に当たるような通りを歩いた。道が広くて、電車の中の混雑を想像し、解放的になった。ときどき腕を広げた。

帰って、椅子に座り、意識したいことを整理した。何も変われていないような気もするし、少し成長したような気もする。課題は沢山あるなぁと思いながら、でも今の自分に薄らとした自尊心を感じようと思った。

文章を書いた。久々にnoteも書いた。長い文章となると、なかなか書くのが疲れる。もう少しエネルギーを節約しながら書けるような工夫をしたい。そう、昨日は障害者雇用支援センターのような場所で、職業適性検査の一部で、模擬的な仕事をした。結果は、正確ではあったが、平均の2.3倍のスピードだった。情報処遅くなっていることを改めて知る。

文章はいつも何となく書けているような気はしていたけど、長めの文章は書きづらいし、読むのも疲れるし、想像以上にエネルギーを使っていたんだな、と知る。生活上でもっと刺激を減らさないといけないと感じた。例えば、まずはスマホの利用時間を減らしてみよう。

夕方ごろになり、シャワーを浴びる。ほぼ毎日シャワーが浴びれるようになり、「回復しているのかな」といつも感じる。ルイボスティーを用意した。精神科医が書いた自尊心に関する本を読み始めた。発見が多い。成果や能力に依存する自信は脆いが、自分の在り方、心の姿勢に対するほんわりとした安定感、肯定感が大切な自信らしい。存在しているだけで価値があると感じられる、今生きて「こうあろう」という姿勢を肯定できる、そういう自信だ。僕が必要なものだなと思う。

家賃を払い、松屋で牛丼を買う。待っている間、税金の支払いが難しくなりそうだな、とふと不安に思う。精神障害者への控除が無いかなど、年明けに相談しに行こう。帰って牛丼を食べた。愛猫はずっと寝ていたけど、途中でご飯の邪魔をしに来た。心がポカポカした。

「誰かに軽視されても、自分は自分を軽視してはいけない」という趣旨のツイートに「軽視という考え方は存在しない。軽視なんてできる権利は人間にない。軽視という言葉自体が間違いでは、気にする必要もない」とコメントを貰う。タメ口だった。心が反応してしまった。

昨日も「何でもかんでも鬱にするな」という内容と口調のコメントを貰い、重い感情が残っていたのだ。ふと、僕は自他境界が曖昧だったんだと気付き、調べる。やはり色々と思い当たる節があるなと思い、「僕は面倒臭いなぁ」と感じる反面、自分について新たに理解できて良かった。生きづらさを和らげるために具体的な工夫ができそうだ。

愛猫と遊び、自尊心に関する本を読んで、今これを書いている。愛猫は少し太り気味な気がする。冬のせいもあるかもしれないね。顔が以前よりまん丸していて可愛い。小説を読もうと思ったけど、うまく文字を処理できる自信が無く、エッセイからスタートしよう。エッセイを書きたい夢もあるし、楽しみたいな。

そう、純粋に楽しいと思えることを思い切り楽しむ、感動できることで思い切り感動する、という感覚を忘れていた。成果や能力、他人の評価ばかり気にして、「自分にとって何がいい感じか」を基準に選択することは無くなっていた。自信、自尊心、自己肯定感を少しずつ育んで人生を楽しまないとね。おしまい。