2024/07/10:余裕を失うと沼にはまる、沼にはまると余裕を失う

日記

昨日の夜、急に視界がぼやっとし始めた。見えているけど、所々に白っぽい何かに邪魔されて、見えにくい。「あ、ちょっとやばいかも」と思って、横になったら、次は頭痛と背中の違和感に襲われる。

頭痛薬を飲んで、苦しみながら早めに寝たけど、夜中に何度か起きた。途中で目が覚めるのは僕にしては珍しい。目が覚めたときも、怠さ・軽い痛みが背中に残っていた。筋肉に問題がある訳ではない感覚。もっと内側から来る違和感。筋膜ローラーでグリグリすると一瞬緩和されるような気がしたけど、「あー、きつい」と思いながら、目が覚め眠りに落ち、を繰り返した記憶が薄っすらある。

そして今日。朝起きて、まず体の怠さを感じた。頭痛も背中の違和感もマシになっていた。リモートワークだから、ギリギリまで寝てしまう。「ギリギリまで寝るのも本当は良くないんだろうな」と思いながら、机について、仕事を始めた。

約一年の離職(そのうち数ヶ月は、正確には退職前の有給休暇だったけど)を経て、初めての障害者雇用で、アルバイトで仕事に復帰し、ゆっくりではあるが、(今のところ)仕事は続けられている。ほぼ初めて経験する仕事内容で、難しさはあるが、まあまずは続けられればいいだろう。

と、こうやって書いているときは自分を称えられる。でも大体と場合、「なんでできないんだ」「これでいいのか」とウダウダと考えてしまう。調子のいいときは「仕方ない、復帰して間もないし!」と捉えられるけど、基本的には自分に求めすぎてしまう。自分を責めてしまう。

本当は仕事の内容についての、僕が感じる難しさもここで話したいけど、ちょっと今はやめておこうと思う、何となく。もう少ししたら、ブログでも開設して、仕事での技術向上に繋がる訓練を、ブログ上でしようかなと思っている。

そう、何かの難しさを感じるとき、柔軟に考えられるときもあるんだ。「相談すればいい」「今は慣れていないから難しいと感じるのは当然だ」「大きく捉えすぎているから難しそうだけど、分解すればそうでもない」みたいに、問題解決的な思考でいられるときもある。

厄介なのは、柔軟に考えられないとき。余裕がないとき。疲れているとき。鬱が強めのとき。「難しい」「苦しい」という目線から抜け出せない。手を動かしていれば前に進むんだけど、「難しい」「苦しい」がジリジリと続く。余裕があるときは、ヒョイっと目線をずらしたり、問題を小さく分解できたりする、余裕がないときは、一点しか見られない。そして苦しくなる。そして自己否定、自責が始まる。

という形で、ここ数日間、少ししんどかった。いや、まだ気分の波の下側にいる。その上、今日は頭痛と背中の違和感もある。困った。

そこで、「仕事終わりにオンラインでカウンセリングを受けよう」と思い立った。過去に一度カウンセリングのオンラインサービスを利用したことがあって、そのときは、ただ話しているだけで、少し気持ちが楽になった気がした。

5000円くらいするので、ポンポンと利用できないけど、ガクンと酷いときはまた利用してみよう、と思っていた。だから、カウンセリングサービスのウェブサイトでこれから夜に話せる人を検索した。何人か条件に引っかかったので、直感で話しやすそうなカウンセラーを選んだ。申し込んだ。

仕事終わりに、カウンセラーにポロポロと今の辛さを説明した。「明確に何かが起きた訳ではないけど、ぼんやりした憂鬱がある」「この気分が続くなら、生きている意味ってあるのか、死んだ方が楽なのではないか、生き続けられるのか、と考えてしまう」「自己否定感、自己無価値感、劣等感が強くてどうしよう」など伝えた。

色々質問してもらって、話しながら、「こうじゃないですか」って教えてもらいながら、「あ、そうかもしれない」と気付いて、あっという間に50分が過ぎた。何か具体的な解決策が浮かんだ訳ではないけど、少し楽になった気がする。

誰かに、症状や気持ち、前後の状況などを話しているうちに、何となく視界が広がって、心が軽くなる。なるべく伝わるように話すから、「伝えよう」って意識するプロセスの中で、少し客観視が入る。そして言葉にしていくうちに、「うん、もしかしたらこういう法則があるのかも」「ちょっと時間を与えれば楽になるのかも」と思える。

暗い気持ちの沼にはまっているとき、人と話すと、心に少し余裕が生まれるのかもしれない。人に話す気力がないときもあるし、「今人と話すと、色々と感じてしまいそうで怖い」ってときもあるけど、カウンセリングみたいな安心して話せる場で、安心して話せる相手であれば、大丈夫そうだ。

「話す」「伝える」という行為で、「やばい、どうしようもない」という凝り固まった視界から、少し引っ張り出してくれるのかもしれない。誰かと話す機会を大切にしようと思った。

聞いてくれるか分からないけれど、寝る前に、愛猫にああだこうだ話してみようと思う。ニャーと相槌を打ってくれるかもしれないし、尻尾だけ振って聴いているフリをしてくれるかもしれない。