三日分の日記

日記

2023/06/25 日記

今日はいい感じに動けた。朝は少しダラダラしたけど、洗濯したし、文章書いたし、読書したし、散歩したり、洗い物したし、上出来である。内容で評価する、評価されるということに慣れすぎているのかもしれない。だから大したことをしてないと、自分を責めたくなる。怠けている、甘い、と自己を否定したくなる。僕はずっとそういう思考習慣を持っていた。だからコンスタントな精神的な事象によりうつ病になった訳で。大事なのは内容ではなく、どれだけ小さくても単位でもこなすこと。「毎日部屋をピカピカに保つ」「5km走る」「毎日必ず1000文字以上の日記をつける」「週に一冊絶対読む」みたいに、大きい塊でなくてもいい。絶対こなす、さもないと減点、でなくてもいい。今日数分掃除した、今コンビニまで歩いて行って帰ってきた、8分読書をこなした、くらいの小さい単位でいい。もっと小さくてもいいし、時間とか量とかは気にしなくていい。読書した、散歩した、洗濯した、くらいで、たとえそれが数分数秒であっても、すでに立派なのである。自分を肯定しまくってあげてほしい。というのを、坂口恭平さんの本を読んで改めて思った。

2023/06/26 日記

六時過ぎに一度起きる。なぜか目が覚めていたのでそのまま活動しようと思ったが20分ほどしたら眠くなった。目が疲れていた。電子機器の見過ぎなだけなのか、睡眠不足か分からないときがある。とりあえずもう一度寝て10時に起きた。日課を定めて習慣化を試みたいので、日課をノートに書く。散歩とか日記とか。さて、三日坊主の僕は続けられるのか。本を読む。文字を追うと心が落ち着くことに気付く。集中している状態は精神に良い効力があるのだろう。文章を書き始める。何を書けばいいか分からない。何を書きたいか分からない。物書きというのは抽象的過ぎるのか。小説を書きたいのか、ビジネス書を書きたいのか、自己啓発本を書きたいのか。内容、語彙、構成が大幅に変わるだろう。こんな曖昧な状態でいいのか。よく分からなくなる。僕の中の真面目な部分が、僕の情けなさを責めたくなる。有給期間はあと二ヶ月で終わる。すぐに文章で稼げる訳もない。多少の実績や希望の職種、職場の検討をつけておいた方がいいのかもしれない。色々考えると書けなくなる。寝転び天井をボーッと見る。何がしたいのか、何ができるのか。まあいいか。

2023/06/27 日記

カニチャーハンが食べたい。そもそも僕はカニチャーハンを食べたことがあるのだろうか。記憶にない。僕を追い出した会社の近くにカニ専門店らしきものがあった。カニパスタ、カニ系のフライ、カニ天津丼。そこにカニチャーハンを置いていた気がする。四回くらい行ったから、一回くらい食べていてもよさそうなものだ。でも覚えていない。カニチャーハンが食べたい。マッチングアプリをいじっているとカニチャーハンの写真が出てきたのだ。僕はチャーハンが大好きだが、今までで記憶が鮮明に残っているチャーハンが二つある。そして多分もう二度と食べられないチャーハン。一つ目は、アメリカ留学時代に食べたチャーハン。キャンパス街にあったタイ料理屋でチキンチャーハンがあった。東南アジアらしいスパイスが効いていて辛かった。大きめのプラスチック容器にパンパンに詰め込まれていつもお腹いっぱいになった。英語での注文は少し緊張するけど、食欲が優った。キャンパスは旅行では行かないような田舎の方にあるから、もう二度と食べられないかもしれない。もう一つはおばあちゃんのチャーハン。シンプルで、具は卵だけだった。嫌いな水泳教室から帰って、吉本新喜劇を観ながらおばあちゃん家でお昼に食べたあのチャーハンは忘れられない。おばあちゃんしか出せない味。母さんや父さんが作ってくれるチャーハンとは違う。あの味。おばあちゃんは亡くなってるから、もう食べられない。でもいつかまた奇跡的にあの味と出会えるといいな。