憂鬱

日記

2023年07月07日

夕方まで動けなかった。この数日、調子が悪い。作業もあまりできていない。寝床からなかなか動けない。なぜだろうか。

浮き沈みがあるから、要因は考えても意味がないのだろうか。もしかしたら一生このような不調と付き合っていかないといけないかもしれない。そう考えると、少しだけ憂鬱になる。焦ってしまう。切実に完治してほしいと願う。

ただ、もしかしたらそれは難しいのかもしれない。自分を責めないこと。これはここ一、二年の僕のテーマだった。生産的かどうかは置いておいて、無理してしまう。頑張ってしまう。期待してしまう。上手くいかないと自分を責める。自分を褒めるのが苦手で、なかなか心が充足することがない。

頑張らないように意識していた。気が付くと人の評価が気になり必死になっていた。「自分が健康でいることが一番だ」と言い聞かせ、自分が仕事を拾えたり主導権を握れたり少し頑張れば早めに提出できそうだったりしても、控えた。

それでも無理してしまうことはあったけど、今は心に余裕が生まれているかもしれない。頑張らないこと、うつ病であることを受け入れられるようになったのかもしれない。焦ってしまうけど、仕方ない。自分ではコントロールしようがないかもしれない。休むしかない。ある種の楽観的な諦め、決意だ。

気力がなく憂鬱になると、追い出された会社のことを考える。会社のことを考えるから憂鬱になり気力がなくなるのか、憂鬱になり気力がなくなるから会社のことを考えるのか、順番はよく分からない。ただ、特に夜になると考えてしまう。悪い感情、否定的な感情で頭がいっぱいになる。

怒り、虚しさ、悔しさがずっとある。もう三ヶ月弱経つから、忘れてもいいような気がする。いや、五年も働いた会社を、十数分の説明で「辞めるしかない」と言われたら、怒りが落ち着くまで一年くらいはかかるだろうか。はやく忘れてしまいたい。時間に任せるしかないのだろうか。悔しさや憤りが生まれたとき、

なぜこんなにも悔しくて、腹立たしいか、考える。一つの答えは、大きな権威が個人的な好みで僕の存在価値を決め、どうにもできなかった、誰も救ってくれなかった、という不条理がある。僕はうつ病だからクビになったのだと思う。そして裏では僕を嫌っていた事業のトップの人が操作していたと思う。組織の中の大きな権力によって、アンフェアなものの見方があったのだと邪推する。

僕がうつ病になるほど無理をして働き、会社や上司の評価を上げようと、貢献しようと堅実に働いた事実が、消し去られたようだった。不条理、悪意、権威によって、個人の権利、価値が揉み消されたような気がした。こうやって、毎晩感情が乱れて、毎晩考え続けるしかないのだろうか。

夕方になってやっと起きた。夜に映画を予約したが、気力がなく行けなかった。2000円が無駄になった。過去に、当日になって8000円くらい払ったコンサートも行かなかったことがある。こういうとき、自分を責めたくなる。なんて情けないんだ、って。

夜になってやっと身体を起こし晩ごはんを食べて、文章を書いた。ご飯が美味しかった。納豆ご飯を食べて元気が出た気がした。美味しいご飯を食べ、安心して寝る家があり、文章を書ける、「それだけで十分だった。救いだった。生きてるとお金を使わないといけないから、色んなところで従業員の給料になっていて、生きてるだけで役に立っている、偉いよ」ってどこかで見た。そうだと嬉しい。あとは次の仕事をどうしようか。

そして寝ようとすると、小さいゴキブリが数匹でた。しかも居間に。困った。僕は二階に住んでいて、一回は居酒屋だ。前の住居は10階で二年くらい住んだが、ゴキブリは一匹も出なかった。困った。愛猫がゴキブリに反応して倒してくれるが、不潔だからあまり触られたくない。困った。キッチン周りは対策をしているが居間は全くだ。明日辺りにでもドラッグストアでゴキブリ対策用品を購入しよう。