いいものは書かなくていい

日記

2023/08/15

いつもより少し早く起きた気がする。昨晩は一時くらいに寝た気がする。できれば12時には寝たい。スマホゲームをした。日が変わったのでアイテムが手に入るのだ。猫に餌をやる。美味しいそうに食べる姿が愛おしい。猫見てるとウンチしてくれるだけで嬉しいしご飯食べてくれるだけでありがとうとなる。人間もそれでいいはず。

正直はっきり覚えていないが、座って読書をしたと思う。相変わらずメンタルヘルス、生きやすさに関わる本だ。読みながらツイッターで自分の解釈をメモとして発信する。繰り返すと、何となく自分の中である考え方に対する意識が強くなる。自分の考え方がアップデートされている感覚があって未来が楽しみだ。猫がいびきかいてた。

確か日記を書いた気がする。日記を書くのはそれほど苦ではなくなってきた。読み返すことはないが、読み返すと気付きがあって面白いかもしれない。考え方、書き方が変わってるかもしれない。変わってないかもしれない。書きこと自体に意味があるから内容や質はあまり気にしていないのだけど、せっかく書くなら面白いことを書きたいという欲がある。その欲は殺そうと思う。

一時くらいだったと思う。近くのスーパーに買い物に出かけた。ラーメン屋の横を通り過ぎると相変わらず長蛇の列があった。ざっと、30人くらいは待っていた気がする。スーパーに着いて、まず二階に上がる。日用品を買うのだ。猫トイレ用の掃除道具と、諸々を探した。シャンプー、リンス、ボディソープ、洗濯洗剤も切れそうだったからカゴに入れる。重曹、掃除用スポンジもカゴに入れる。ペット用品のセクションもチラッと見ておもちゃとおやつを買いたくなったらまた今度にした。

まず会計を済ませ、一階に降りた。納豆、明太子、ごはんですよ、アイスコーヒー、牛乳、ピルクス、パルム、カツ丼、かき揚げを買った。冷凍食品を買いたかったけど、荷物が重くなりそうで止めた。帰りにドラッグストアに寄りトイレットペーパーを買い、荷物の重さで腕と指が痛くなりながら帰る。

カツ丼を温めながら、冷蔵庫に食品を入れる。汗をかいていたからタオルを取る。カツ丼を食べる。猫がカツ丼を気にしていた。食べ終わって、猫のトイレの掃除をした。猫砂を全部取り除き重曹で磨く。乾かして新しい砂を入れる。掃除をして満足感を得た。その後、メルカリでメンタルヘルスに関する本を買った。買い過ぎた。今作業机にはパイプ椅子があり長時間作業する上で致命的かなと思ったけど、どんな椅子がいいかも分からないし、とりあえず椅子用背もたれクッションで何とかすることにした。

パルムを食べてスマホゲームをして昼寝した。昼寝する前に、SNSで猫の幽霊の絵を見た。女の子が悲しそうに猫じゃらしを持って三角座りしている。彼女の背中には透けた猫がいる。透けた猫は彼女を信頼したように頬を彼女の背中に擦り付けていた。僕は泣いた。

目が覚めたとき、まだ眠かった。少し横になっていると頭が起き始めたので、身体も起こした。昼ごはんを食べたのは三時くらいだったからそこまでお腹は空いていない。少し音楽を聴きながら文章を書く。ちゃんみなを聴いた。幅広いジャンルの曲を作って歌っていて驚いた。例えば『Mirror』は平成初期、半ばくらいの海外にロックっぽい感じがしてお洒落だった。霜降り明星の粗品が急にハウスっぽう曲を出していた。

八時くらいになったので、かき揚げ、餃子を温める。そういえばさっき文章を書いているときに、ご飯も炊いておいた。家事をこなせると嬉しい。餃子を買ったのを書き忘れた。霜降り明星のユーチューブを見ながらご飯を食べた。明太子と白ごはんの組み合わせは素晴らしい。納豆ご飯も食べた。食べすぎた。

霜降り明星のユーチューブを見ていると、ロッテリア食べたくなった。以前蒲田辺りに住んでいたとき、うつで辛いとき、近くのロッテリアを買いに行った記憶がある。ロッテリアの三段くらいのチーズバーガーを食べた。なぜかロッテリアのメロンソーダ美味く感じた。終電近くまでよく働いてたときで休日は一日中ベッドの上だった生活を思い出して懐かしくなる。

ツイッターをダラダラと見ていた。「色彩の豊かな映画」「解釈が分かれる映画」募っていて、前者は『her/世界でひとつの彼女』、今でも近未来的で絵画のような綺麗な色合いを覚えている。後者は『複製された男』をあげた。『複製された男』は、『デューン』『ブレードランナー2049』『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴの監督作品だ。よく分からない映画を聞かれるとおすすめしたくなる。最後ゾクっとしてそのまま終わって「は?」ってなった。象徴的なものがたくさん含まれるらしい。おすすめだ。

そういえば『君たちはどう生きるか』も好き嫌いがはっきり分かれて面白い。観る前は「意味が分からない」「監督のエゴだ」なんて聞いていてどれだけ意味不明なのか期待していたが、僕はまとまっていて自伝的で面白かった。映画で好き嫌いがはっきり分かれるのって不思議な現象だ。もちろんどっちが正解でもない。僕が「よく分からなかったな」って思っても誰かは「めっちゃ面白かった!」って言ったりして、人によって何か感じるか、どれだけ理解するかってバラバラなんだなって思う。

ツイッターを見ているとある投稿を見つけ、被害者意識の中毒性の言語化がすごかった。過去について悩むと余計に過去が嫌いになり憎むようになり、実際よりも酷い屈辱的な記憶として残り、その被害者意識、自己憐憫が快楽となり麻薬性を帯びる、と書いていた。屈辱的な過去を思い返すことが癖になり、辛い記憶に浸り被害者意識を抱くことがやみつきになるらしい。僕は「なるほど」と思った。ちょうど思い当たる節があったので学びになった。SNSにはこういう出会いもある。

引き続きツイッターを見ていると猫の写真を見つけた。可愛いと思った。お腹が苦しい。食べ過ぎたみたいだ。猫のおやつをやる。半月後に正式に無職になるのだが、大学卒業式の日に、講義が楽しくて小説をもっと読みたいと思わせてくれたアメリカ文学の教授に「君、大物になりそうだから、写真撮ってよ」って言われたの、何となく今でも信じてる。

はぁ、猫は可愛い。猫と少し遊んで寝た。お腹が痛い。何度かトイレに行った。夜は深刻になりがちで色々しっかり考えたくなることもあるが、一番大事なのは自分の心身の健康だ。考えるのは大事。でも全ての事柄を真剣に考えてると疲れる。気楽に行こうと思う。もっとふざけようと思う。