2023/10/03:悲惨な現実との向き合い方が分からない

日記

2023/10/03

昨晩は眠れなかった。4時ごろまで起きてたと思う。ここ数日寝付きが悪い。別に昼寝もしていないし、理由がよく分からない。9時ごろ起きた。重たい眠たさが残っていたけど、支度をしないといけなかった。メンタルクリニックに向かう。少し雨が降っていた。電車で数駅。満員電車ではないが、すぐ近くに人がいて何となく窮屈に感じた。メンタルクリニックで諸々の書類を渡した。会社を正式に退職となり健康保険を切り替えたが、前回は実費で支払ったから、返金のために領収書などが必要だった。待合室には2人くらい患者がいた。呼ばれて、最近の体調を数分話し、薬の量と次の予定を調整して、部屋を出た。少し睡眠や倦怠感など体調について話しただけで、分かるものなのだろうか。最近、通院を止めてみてもいいかなと思い始めた。薬局で返金の事を伝えたが、説明が下手で一度で伝わらなかった。眠かったので帰る事にした。駅に向かう途中、男性と肩がぶつかる。睨まれる。疲れがドッと来た。心がグチャっとなった。パンを買って帰る。猫に挨拶をし、パンを食べた。『イカゲーム』を観た。最後まで観終えた。いい作品に出会えた事を感謝し、昼寝をした。

2023/10/05

8時半頃に起きる。ハローワークへ向かう準備をする。雇用保険の説明会があるのだ。こんなに朝早くに電車に乗るのは久しぶりかもしれない。人が多い。ある事に気付いた。電車などの移動で些細な事が気になってイライラするのは、頭の中が暇だからではないだろうか。移動は手段だから、気が逸れる。気を逸らしてくるものも多い。読書なども集中しにくい。手持ち無沙汰でスマホなどを触っていると、小さい事が気になりイライラする事がある。音楽を聴いたり文章作成をしたりして、少しでも熱中できると、気が楽になりそうだ。会場に着き、話を聴く。後半30分を担当した人は、ずっと下を向いて台本らしきものを読んでいた。音読しているからか、僕は時々追いつけなくなる。説明会が終わり、少し早いがお昼を食べる事にする。久しぶりにスシローに来た。もう回転する寿司は見れなくなるのかと少し寂しく感じた。お腹いっぱいになるまで食べ、帰宅する。お昼頃は近くに勤務してるであろうビジネスマンが僕にアパートの周りで路上喫煙してるから少し憂鬱になる。少し昼寝をし、図解・文章作成を行う。淡々と進める楽しさもあるが、少し退屈に思う事がある。

2023/10/06

一度猫のご飯を用意するために起きたが、頭が重たくてもう一度寝る。結局、お昼ごろまで寝ていた。睡眠時間は十分のはずだか、少し調子が悪そうな気がする。ここ2日は調子が良かったのだが、それ以前はどれだけ寝ても倦怠感が残っていた。気分の波は予想がつかない。起きて、作業机に向い文章を書く。考えが枯渇してきた。考える材料が足りないのに文章を書こうとしているから、空回りしてる感覚があった。本を読まないと。1時間ほど書いて、お昼を食べに行く。何か買ってこようと思ったが、お昼の時間は過ぎていてスーツ姿の人でいっぱいになってる事はないだろうから、うどんチェーン店に向かう。うどんとちくわの磯辺揚げ、イカ天、いなり寿司も注文する。久しぶりのうどんに箸の運びが速かった。帰って『ストレンジャー・シングス』を1話見たが、まだしんどかったので寝ることにした。結局20時くらいまで寝たが、目覚めで気分が重たくなる。起きられなくなる夢を見た。起きたくて目を開けてもまだ夢の中、気付いてたらまた寝ていて、必死に起きようとするけど睡眠に囚われて起きられず、目を覚ませたと思えばそれは夢の中、をループする。

2023/10/07

9時頃起きる。嫌な夢を見た。僕は校舎の3階。誰かが校庭から銃撃している。みんな悲鳴と共にパニックで走り回っていた。僕の心臓も恐怖で暴れている。そんな夢を見たからか、少し頭が重たい。嫌な夢を見たとき(もしくは夢を覚えているくらい睡眠の質が悪かったとき)、頭痛まではいかないけど、頭に重たさが残る。水を飲んだりシャワーを浴びたりしてから、作業机に座る。パイプ椅子の座板、背もたれが硬い。文章を書く。あまり考えずに文章を再利用して時間とエネルギーを節約しようとしたが、あまりスムーズにいかない。一字一句同じである事さえ避ければ、言い換えて同じ内容を投稿していいと思うのだが、少し工夫を加えてしまう。もう少し考えるのを止めようと思う。ツイッターで少しフォロワー数が増えたが、フォロワー数に囚われず、人格を変えたり新しいテーマにトライしたり、実験しようと思う。お昼は、野菜や味噌汁にした。1ヶ月前からなるべく健康的にお昼ごはんにしている。少し休憩を挟みながら、図解資料を作る。休憩中に寝転んでいると、猫がお腹の上に乗ってくる。トイレに行きたかったけど、我慢した。後はいつも通り過ごす。

悲痛、残虐な事件が耳に入る。思い出した。愛猫を病院に連れて行くために、タクシーを待っていた。愛猫はいつもと違う状況に、キャリーバッグの中で鳴いている。すると、おばあちゃんが通りかかる。高齢者用のキャリーバッグを支えにしていた。おばあちゃんはわざわざ立ち止まり、僕に話しかけてくれた。「可愛いねー」と。僕は、ありがとうございます、これから病院に連れて行くんです、と状況を説明する。おばあちゃんは、愛猫に心配そうに話しかけ、「昔、私も犬を飼ってたのよ」と教えてくれた。最後に「お大事にね」と言い、去っていった。悲痛なニュースを耳にし、なぜかその出来事を思い出した。温かい瞬間で世界を満たせないものか、と。悲しみ、苦しみに浸り続けないといけないのか、と。社会で起きている悲惨なニュースを耳にした時、真実との向き合い方について考える。向き合うのは大事だ。でも繊細な人は、ネガティブなエネルギーを吸収して、自分まで辛くなってしまう。特に既に辛い時は、ニュースを見ないようにする。ニュースを見る時も、共感をしたくなるけど、ある一定の境界線を引く。気を付けないと、自分がしんどさに溺れるから。