肩の力を抜こう

日記

2023/08/02

朝九時に起きた。とりあえずそのまま机に座り絵を描く。一枚描き終え、次の下描きを進める。参考になるイラストをインターネットで探す。「こうしたら面白いかも」という自分なりのアレンジを加え、鉛筆で薄く全体像を描く。そこで止めて、シャワーを浴びた。

気のせいかもしれないが少しずつ絵が上達している気がする。損得勘定とか効率とか意味とか考えず単純に好きで面白いから、手を動かして打ち込める何かがあるのは貴重だと思う。上達する感覚、上達したときに感じる嬉しさを大切に毎日少しでも前進したい。前進しなくても楽しく続けていきたい。

日記を書く。2000文字くらいになった。何か書こうとするけど、書けない。何か良いものを書こうとしてハードルを上げているかもしれない。文章とか表現とか、タスクになっちゃうと楽しくないし前に進みにくい。何となく取り繕って文章を書こうとしてる気がするな。等身大の言葉を使う方が難しいのかもしれない。

もっと素直に書きたい。もっと自由でいいのに。自分の言葉で語りたい。そのためにはたぶん色んな文章に触れて真似をし続けないといけないんだろうな。ずっと繰り返してるとたぶん個性らしいものが生まれてくると思う。頑張ろうと思う。気張らずに頑張ることを苦だと思わないことに出会えてよかった。

お昼ご飯に納豆ご飯を食べた。眠たくなった。お昼食べると眠たくなる現象をなるべく抑えたい。何もやる気が起こらなくなって座椅子に座る。寝ようとも思ったが眠れず、座椅子やマットレスでTwitterを見たりスマホゲームをしたりしていた。ゲームが何となく上手くいき、そのままダラダラと続けてしまった。気付いたら日が暮れていた。

最後にもう少し書けないかと机に座る。長い文章は書けなかったのでTwitterに投稿できるくらいの長さでいくつか書いていた。うつ病になって人生の考え方などについて書いていたが、もしかしたらもう少しテーマを明確にした方がいいのかもしれない。情報発信や随筆を書くにあたって、追求したい分野があるのは強みだと思う。明日はテーマを棚卸ししよう。

気付いたら夕飯の時間になりふと思った。僕が何をしてようが、どんな感情を抱いていようが体調を崩していようが、時間は無情にも勝手に流れていく。うつ病になって自分がどれくらいの頑張れば精一杯か分からなくなり、自分でもダラダラしてる」と自分を責めたくなるほど何もしていないこともある。だから矛盾しているかもしれないけど、どこかでいつも焦ってる気がする。

やりたいこと、やらないといけないことが頭の中に箇条書きであって、どれも進められておらず焦っている。もうちょっと気楽にいきたい。「これはやりたい」とかが常に頭の中にあったとしても肩の力は抜ける気がする。作業量はこなしつつ、頭の中の「これはやりたい、やらないと」は一つずつこなしていこうと思う。

晩ご飯の準備をする。冷凍した白ごはん、冷凍食品のいか天ぷらと甘ダレ唐揚げをレンジで解凍する。準備をしてる間キッチンにいると暑くて汗をかく。ご飯を居間に持っていき、テレビを付けて、YouTubeを再生する。ご飯が美味しくて幸せな気分になった。毎日美味しいご飯が十分に食べられて幸せだ。うつ病に食欲があることそれ自体が幸せなことだと気付いた。毎日晩ご飯を楽しみにしている。

猫に餌をあげ、ゆっくりした。ゆっくりするときにSNSを見てしまう癖がある。SNSを見ると、場合によってはネガティブな感情になる。例えば前の会社の宣伝のような投稿が目に入ると、憂鬱になる。人材が数十人減って残った人も大変だろうとは思うけど、僕も含め去らないといけなかった人たちの気持ちを考えると不憫だ。前の会社を連想させる何かを見るだけで、憂鬱、気分の落ち込みが激しくなる。本当は考えたくない。

Twitterにも書いたが、僕の中には不幸に浸っていたいみたいな欲望が実は根幹にあるんじゃないかって一時期考えたことがある。今は大丈夫だけど、自己破滅的な行動に引き寄せられる感覚があったし、被害者意識が強くて色眼鏡で大したことことじゃないことも不幸だと感じたり、不幸を大きくして「悲劇に苛まれる自分が特別だ」みたいな優劣感を抱いていた気がする。不思議な矛盾だけど、そうやって色んなネガティブな感情を磁石みたいに引き寄せて自ら自分を傷付ける行動をしていたのかもしれない。

寝る前に猫と遊んだ。おもちゃによって猫の遊ぶ激しさが違うのが面白い。やはりお気に入りのおもちゃがあるみたいだ。SNSで動物を見るのも幸せ、癒やしだ。特に文鳥やインコ、オウムを見てると幸せな気分になる。どこかに触れ合える場所はないだろうか。薬を飲んで、寝る準備をした。