好きなものへの探究心

日記

歯医者に行った。2ヶ月くらい通っている。会社をクビになる前に通っていたところだから、会社の近くにある。時間帯によっては会社の人と会わないか、悪い意味でドキドキする。悪い人間はほぼいない。ただ会ったら気まずい。ムズムズする。

職場での悪い人間で言うと、会社を1ヶ月休むきっかけになった人間はいる。去年の11月くらいに起きたが、それ以降そいつと一切話していない。僕はその人に近寄りたくなかった。コーヒーを入れようとしてもその人がいたら、その人が場を立ち去るまで待った。一応ハラスメントを報告したが、該当しないらしい。僕も該当しないとは思っていたが、ハラスメントに該当しないからと言って、人を見下したような言葉、関係性を考えず正論を振りかざすような行為は気持ちが悪い。まだ憎んでいる。

そいつとその他少数を除いて、職場の人たちは大体優しかった記憶だ。妙な馴れ合いが多く企業としては生ぬるい部分がありその部分も僕がクビになった出来事と関連して恨んでいるのだが、人間関係で言うと悪くなかった。僕はこれ以前に正社員として一社しか経験しておらず、その会社も数人しか従業員がいない、よく「就職活動」などでイメージされるビジネス的な職場とは異なる質の所だったので、比べようもないが、入社してくる人はみんな「みんな優しいですね」と口を揃えていた。

歯医者の話に戻る。そう、歯医者に行くきっかけは、銀歯が取れたからだ。銀歯が取れて飲み込んでしまった。過去に何度か外れてしまっていたが、押し戻すと元に戻ったから気にしなかった。それが焼売を食べていると、焼売にくっついて胃袋の中へ連れて行かれた。

歯を診てもらったら、想像以上に膿んでいたらしい。レントゲンは歯の根元の黒い塊を見せていた。虫歯から細菌が感染したらしい。銀歯を作り直してもらおう、くらいだったが、「膿がたまっています」と言われれば何となく気持ち悪くて通うしかない。当時は痛みはないものの、いつ痛みが発生してもいい、という状態だったのだろう。歯が痛むと、死ぬほど痛い。過去に、痛すぎて眠れず朝の3時くらいにタクシーで三駅分くらいある、一番近くのドン・キホーテまで行った。痛み止めを購入しすぐ近くの自販機で水を購入し薬を飲んだ。労働者が羽を休めるような居酒屋、夜の店が密集した繁華街だったから、まだポツポツ人が外にいたのを覚えている。少し日が照ってきたとはいえ、まだ暗かった。それでも人は動いていたから不思議な感じだった。今でもいい思い出である。

既に数回通っていて虫歯の治療は終わっていたので、銀歯用の型を取ってもらい、帰った。久しぶりに電車の中で音楽を聴いた。いい。移動中の音楽は気を紛らわしてくれる。電車に乗ると人が多くてぶつかったり「あそこスペース空いてるのになぜ詰めない?」などの不満があったりで絶対に気分が落ち込むのだが、音楽を聴いていると音と言葉に引き込まれて心が静まった。

帰ってブログに載せる文章を書こうとした。書けない。書けても大したことを書けない。何を書いていいか分からない。文字稼ぎをしているような気持ちになる。勝手に壁を作る。いい物が書けると過信する。頭の中に考えはあるが、自分に期待して「面白くない」と無意識に拒絶する。この状態に陥ると、頭の中で無意識的なアイディアの連続的な拒絶が始まり、何も書けない。単純にインプット不足で素材がない場合もありながら、絶対に頭の中で何かしらの考えは浮かんでいる。それが興味深いか下らないかは議論の外にすると「久しぶりにホットドッグが食べたい」「ファミマが出したパンツ気になるな」「銀歯の型取りのふにゃふにゃしたやつ、気持ち悪かった」くらいは絶対に考えているのだ。心の中でハードルのようなものがあり「いい物を書きたい」「日記でも誰かに向けて書くならほんの少しでも面白くないと」とハードルが上がった瞬間にメンタルがブロック状態に入る。何も出てこない。何も書けない。

SNSを見ていると、あるロックバンドのリーダーのエピソードに遭遇した。彼は他のクリエイターに「才能が無いのに努力しないって何なんだ」みたいなことを言ったらしい。そう、何でもそうだが、最初から出来る訳がない。自分の能力を見誤って妙に過信して、そもそも行動できない、なんてのは本末転倒だ。ましてや僕の文章の経験は、仕事で記事のようなものを両手に収まるくらいの本数を書いたくらいだ。面白いもの、ためになるものなんて書ける訳がない。良いものを書きたいという気持ちは大事にしつつ、ハードルは下げまくって、面白くない、下らない文章を書きまくらないといけない。そう言い聞かせた。

文章をいくつか書いて、その日の夜は猫と遊んでSNSを見てダラダラ過ごした。ツイッターが好きなのだが、マウントを取り合っていて面白い。文字数が限られていることもあり、前提や論点が一致しないまま、お互いを攻撃して、正しさや知識を押し付け合っている。みんな正しくありたい。みんな馬鹿にされたくない。SNSはコンプレックスの渦みたいなところなのかもしれない。

最後に、さっきのロックバンドのリーダーのエピソードを振り返り思った。好きなものへの探究心、「良いものを作りたい、提供したい」という向上心は、壁が無いのだろうと思った。「努力してると思わず夢中になって勝手に努力できる何かがあると強い」とよく聞くが、その通りなのだろう。努力に損得勘定があるとブレーキになる。損得が手段となり、その何か、仕事や芸事が目的となると、狂気に満ちた追求心となって、その推進力は誰にも止められないんだろうな、と思った。

2023/05/30