“社会人”からの逸脱

日記

2023/05/20

散歩に行った。風が気持ちいい。カメラを持って散歩に行った。木に挟まって潰れたどす黒い空き缶を見つけた。よく分からないけど、珍しいものを見た気がした。絵になっていた。数枚写真を撮った。無機質な人工造形物(標識や柵など)や道にポツンと捨てられたゴミを撮るのが好きだと気付いた。カメラの電源が落ちたので、帰った。

日記を書いた。日記らしい日記というより、書いていく内に出てくる思いを吐き出している。最近すらすら書けるようになった。「ネットに投稿しよう」「誰かに見せよう」という思いを抹殺すると書きやすくなる。自分しか見ないんだ、という意識で書くと、頭の中のゴミが拾いやすくなる。

あとは、出来事を描写することに慣れた。僕は抽象化してしまう癖があるのか、具体的な出来事や風景を忘れる習性があるのか、そもそもあまり行動をしていないから記憶に残るような出来事がないのか、「具体的に起きたで出来事」を書こうとすると上手くいかない。考えたこと、気付いたことがまず出てくる。自分語りが多めなのだ(今もそれをしてる訳だが)。

たぶんこれは学生のときからそうだったのだと思う。左脳型なのかロジカルなのか。だから具体的な認識をなるべく文字に起こせるように、観察眼の調整をしたい。感覚を大事にもっと「見る、聞く、感じる」がしたい。なんというか、たぶんそっちの方が面白いし、面白いものが書けると思う。

天気が悪くジメジメしていた。気圧が低かったらしい。僕は偏頭痛持ちでもなく明確に天候に体調が左右される人間ではないが、気分は落ち込んだ。ぼんやりと元気がなくなる。今は仕事をせずに家にいるからいいが、例えば天気が悪いときに会社で1時間の会議、しかも人数が多めで聞く側に徹しないといけないような会議だと、憂鬱になりイライラして会議を飛び出したくなることがよくあった。

一時的にびっくりするくらい気分が落ち込む。身体が悲鳴を上げる。いや、悲鳴を上げるというより、悶え苦しんでいる、のような感覚かもしれない。心臓を中心にして憂鬱さが波紋を作って身体全体に広がるイメージだ。苛立ち、不安、不快感、虚無感みたいなものが、じわっと身体の細胞に伝達されていく感じ。思い出すだけでもしんどい。ずっと聞かないといけない会議、上司との一対一の面談のときによく起きた。できればもう経験したくない。

日記以外の文章を書きたかったが、昨日2時まで起きていて眠かったので、書けなかった。「こんなことでいいのか」と焦る気持ちがある。手を動かさないと、また前の仕事みたいなことをしないといけないぞ、と。「でもうつ病だし今は勝ち取った有給期間だし、ゆっくり休むんで好きなことをリラックスしながらするんだ」と対抗する。

そう、いつも僕は僕が他の人と同じ土俵に立っている、立ちたいと願っていると勘違いしてしまう。そもそもうつ病だから同じような症状を持っていない人と同じように動ける訳じゃない。数年分の疲労や憂鬱が溜まっている。数年間掃除していない排水口に溜まった生ゴミみたいな感じだろう。

そして、よく学生時代や会社で言われた「社会人として」「キャリアパスは」「30歳の平均年収は」みたいな言説からは逸脱したと考えたほうがいい。逸脱したい。逸脱しないと身体を壊す。だからゆっくり休みまくればいい、本を読んで映画を観て音楽を聴いて漫画を読んでアニメを観て文章を書いて写真を撮って、好きなことをしまくって過ごせばいい。

だからダラダラした。寝転んでインスタを見てツイッターで会社の愚痴を吐いて、『がんばらないことをがんばるって決めた。』という本を読んで、猫と遊んだ。猫と遊ぶと楽しい。猫も楽しいと思ってくれてるといいのだが。

「憂鬱なときにSNSを使うと気分が落ち込むので気を付けましょう」的な文言を数回どこかで見た気がする。僕は使い方、接し方による気がすると思う。そりゃキラキラした他の人の人生を見て自分と比べてしまったり、憂鬱なニュースや酷い罵詈雑言が流れてきて自分にダメージが来たりはあると思う。

ただ、色んな機能を介してそれらを避けられれば、好きなもので詰まっていたりする。透き通るような写真、クスッと笑ってしまう四コマ漫画、初めて聴いたかっこいいラップ、ウキウキするアイドルのダンス、芸人の下らなすぎて笑ってしまう投稿、楽しいものに満たされている。それに触れるとちょっとずつワクワクドキドキして、気分が良くなる。そんな気がする。

昨日の出来事、振り返って感じたことを土曜日朝に書いている。今日も湿っぽい。今日ももしかしたら途中で元気がなくなってダラダラするかもしれないが、気にするな、と自分に言い聞かせる。そうだ、フィルムカメラを買うんだった。それが今日の大事なミッションだ。