能力主義に嫌気が差す

日記

2023/07/22

お昼までダラダラしていた。寝て起きてスマホゲームをして寝て、の繰り返し。いくら寝ても眠たい。寝すぎているから眠たい気もするし、うつ状態で身体がダルい気もする。毎回こんなことを考えているが、休むと決めたら全力で休んだ方がいいと気付いた。中途半端に頭の中で焦燥感を抱いて自分を責めると、余計にしんどくなる。

日中に寝るときは眠りが浅いからか変な夢を見ることが多い。前職の同僚や学生時代の友人や会ったこともない有名人が一緒に登場する。内容はすぐに忘れてしまうのだが、記録した方がいいかもしれないと思う。

気力がなく夕方まで動けないときは、日記がいつも同じような内容になる。日記って、すぐに効果があるものでもないし、続けていたら何か明確なことがある訳でもないかもしれないけど、とりあえず出来事と感情を記録しておくことに意味がある気がする。物語ができるかもしれないし、記憶や感情を辿ること自体に精神を治癒する力があるかもしれないし、書くことで始めて気付く自分の一部があるかもしれないし。とりあえず日記を続けようと思う。

お昼ごろに起きれた。朝がダメだったらそのまま引きずられるように夜くらいまで動けないことが当たり前だから、少し嬉しかった。

ある動画を見た。能力主義への懐疑的な姿勢について議論する、ビジネスバラエティ番組だった。ゲストはビジネス書の編集者で、躁鬱病の経験者。ある日、全く仕事ができなくなり、「能力」という概念を疑い始めたそう。

議論では、能力とは人が保有するものだという論調の中で、できるできないが重要視されるが、豊かなビジネスライフを送るためには、能力を「人や社会との関わりで生まれる物語でしかない」と捉えた方がいい、と話していた。能力を重要視して自己肯定感を能力に頼ってしまうと、いざ病気や老いで能力を失ったときに喪失感が莫大になる。正確な能力の査定なんて不可能で、 評価はあくまで便宜上でしかない。だからある場所での能力を重んじるのではなく、人との関わり、集団との関わりで偶然素質が活かされる文脈がそこにあるだけ。そんなことを話していた。

前職での能力主義を重んじた文化が気持ち悪かったから、なるほど、と思った。優秀社員を選ぶ制度もあった。もちろん個人の努力を称えるのも大切なのだが、人との関わりの中で生まれる創発的な何かが称賛に値しても良い気がした。何より、能力が低い人は、人間としての価値が低いような論調があちらこちらで見えて、心に引っかかるものがあった。事業部門のトップの人は、メンタルが弱い人を卑下する空気があった。僕はうつ病になり間接部門に異動となって最後は事実上クビになったが、集合体としての化学反応より、個人の能力を優先する文化が反映されているような気がする。

動画を見終わって、嬉しい気持ちだった。経験豊かなビジネスパーソンが働き方や幸せについて解像度高く語っているのを聞くと、「ほう、そう考えられるか」「そう!言語化してくれてありがとう」とテンションが上がる。働き方、仕事のあり方がアップデートされる気分になり、「あ、僕が働きづらいと感じていたことは別に間違いではないし、僕に合った働き方があるかもしれない」と勇気づけられる。インプットして考え方が整理されたり刷新されたりする感覚は楽しい。それが楽しいと感じられて、今日は良かった。

動画を見た後に色々書いていたら夕方になった。数分でも数秒でも、何かに夢中になれるということは幸せで、大切にしたいし、生きていく糧にしていきたいと思った。夢中になれることで稼げると楽しいだろうな。

ここ二日くらい自炊をしていなかったから、ご飯を炊けて嬉しかった。僕の家はガスコンロがなく、「自炊」と言っても白ごはんを炊いて、後のおかずはコンビニなどで買った惣菜系なのだが、ご飯を炊いて規則正しい生活ができると嬉しい。

ご飯の後は、ダラダラしていた。猫と遊んだりTwitterを見たりしていた。最近、三行日記を始めたので、軽く振り返って文字に起こす。宇多田ヒカルを聴いて、一つの単語が当てはまらないような、人を想う感情を描くのが物凄く上手いと思った。明日は活動できるといいなと願いながら、布団に横になった。