世界は胸糞悪い

日記

今日は朝から気持ちが乗らなかった。天気のせいかもしれない。文章をあまり書けなかったし、読書もできなかった。「やる気がないからできないのではなく、やり始めたらやる気はでるものだ」と聞くが、境界線が分からない。今日は文章を書こうと机に座ったが、憂鬱なままだった。

天気のせいかもしれない。ただ、天気のせいだと認識することは対策にならない。自分を責めることは避けられるし、無理することも緩和できる。ただ天気が悪いときいつでも気力が無くなるのは困る。こういうとき、習慣、日課が大事なのだろうな。最近ようやく習慣、日課、日常の過ごし方、一つ一つこなすことの大切さを認識し実行し始めたから、これから良くなることを期待しよう。

心身の落ち着きは、心と思考と身体の習慣、癖から来るのだろう。雑念、欲求を消したい。モノに執着したくない。毎日の行動、日課、仕組み、環境管理が大事なのかな。集中できないときがあるけど、一日でマジカルに精神が統一できる訳じゃなくて、毎日の心の落ち着かせ方が大事なのだろう。瞑想しよう。家事をしながらでも瞑想しよう。ストレッチをしよう。イマココに集中しよう。ちょっとずつうつ病が回復するかも。

夜は映画館に行く予定があった。既にチケットを予約していた。憂鬱で、ギリギリまで映画代を無駄にしてしまおうか迷ったが、時間になって渋谷に向かう。『レンタル×ファミリー』を観た。家族や友人をレンタルするビジネス。一時でも人との繋がり、その温かさを味わえるなら、幸せなのかもしれない。ただその繋がり、温かさが偽りなら、サービスとして提供されているものなら、どうだろうか。それぞれの幸せ、それぞれの寂しさ。何が正解なのか。考えてしまった。

夜の渋谷は苦手だ。何度か揉めたことがある。僕が反応してしまうのがよくない。酔っ払いがいたり、叫ぶ若者がいたり、歩き煙草をして道を防いでいる人がいたり、怖い。「他の人間に迷惑をかけてもいいでしょ、だって青春してるんだから、だって楽しい夜なんだから」という空気を感じてしまう。いつでも僕を見下す準備ができてる空気を感じてしまう。もちろん一部の人だけなのだ。

でも怖い。僕の精神が乱れて過剰に反応して怒ってしまわないかビクビクする。たまたまぼったくりバーの動画を見てしまい少し緊張状態にあったのかも。数杯飲んだだけで会計が10万超え異議を唱えると店の人が恐喝。客の方は元ボクサーで落ち着いて丁寧に対応していたけど、店の人は椅子を蹴ったり身体を掴んだりしていた。夜の繁華街では、そういうものが蔓延してると考えると、憂鬱になった。

人、世界に期待し過ぎだから落ち込むのかもしれない。生きるって、憂鬱で窮屈で怖くて不条理で胸糞悪いものだ。「なぜネガティブに感じるのか」って考えるけど、理由、意味なんてなくて、世界がネガティブだからネガティブに感じるのかもしれない。そういうものなのかも。

僕の好きな名言にこんなものがある。「この世は、考える者にとっては喜劇であり、感じるものにとっては悲劇である」、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」。生きることは、矛盾、不条理、鬱屈まみれで、世界はむさ苦しく胸糞悪い。真面目に考えると、直球をそのまま受け取り過ぎると、辛い。悩んで感じると、しんどい。

「なぜだろう、どうしたら抜け出せるのだろう、期待し過ぎているのかな」と理由とか意味を探そうと考えちゃうと、余計にしんどくなるのかも。「ネガティブに感じちゃう、なぜならネガティブに感じちゃうから!世界はネガティブだから!」くらいでいいのかも。考え過ぎない、いや、もう一つ掘り下げて考えて、「嫌なものは嫌、胸糞悪いものは胸糞悪い」と割り切るのも、上手く生きるコツなのかもしれない。

なんてことを考えていると、「もっと理解したい、もっと真実を追求したい、前提・論点・意見・反論をもっと沢山、もっと正確に言語化したい」と思い始めた。もっと勉強して、もっと速く深く理解・共感できるようになって、もっと速く正確に熱く言語化できるようになりたいって思った。そう感じたのだから、「なんか自分の中にそういう側面、欲求があるんだ」って知れて、モチベーションが生まれて嬉しい。