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頑張る

日記
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16時ごろまで布団の上だった。起きて携帯を触り寝て、を繰り返す。変な夢を見る。そう、寝過ぎるときは変な夢を見る。父を怒鳴っている夢を見た。怒鳴られている姿それ自体も偽善だ、被害者ヅラばかり、と怒鳴っていた。たまに家族と喧嘩をする夢を見るが、しんどい。起きたら気分が落ち込んでいる。

今日は夜まで起きれないかも、と落ち込んでいたが、ちょっと頑張ろうと思い起きてシャワーを浴びた。「頑張る」という気持ちの扱いが難しい。うつ病になって、そして適応障害で1ヶ月仕事を休んだとき、心を休めることについての書籍をいくつか読んだ。「頑張らない」「テキトーに生きる」「無理しない」などと書かれており、意識した。頑張らない。無理はしない。とにかく休む。少しでも何かが出来たら褒める。シャワーを浴びたら天才。ゴミを出したら天才。朝起きたら天才。そうやって、小さいことでも成し遂げたという感覚を植え付けようとした。

根が真面目で自己否定の癖がありうつ病になったような僕には、自己を常に肯定する感覚が大切である。ただ、自分の心の状態によっては、頑張る」という気持ちを大きくしてもいい気がする。無理するのはダメ。でも「頑張らない」というのを無理やり自分に押し付けるのも良くない気がする。頑張りたい気持ちがあるなら、そしてそれが自分らしさを否定しないなら、頑張りたいという気持ちを受け止めてあげて大きくしてもいい気がする。

心や身体が「頑張れない」と悲鳴を上げているなら絶対にダメ。もし「休んだ方がいいかも、でも頑張りたい」という場合、頑張ってもいい気がする。好きなことだったら、頑張ることが休息になる場合もある。もちろん行動すると何らかのストレスが発生することも絶対に理解するべき。その上で、純粋に「頑張りたい」という気持ちが内側から生まれてるのなら大切にしてもいいんだろうな、なんて思った。「頑張る」には、「無理をする」「耐える」という側面が強いんだろう。そして本来は「頑張る」と「努力する」は別ものなのだろう。そういう意味では「頑張らない」は正しくて、「努力する」をした方がいいんだろうな。

家の近くのラーメン屋に行った。それまで何も食べていなかったので、中途半端な時間だったがお腹が空いていた。お昼や晩ご飯の時間だと常に列がある。でも夕方だからそのまま入れた。家系の中の武蔵屋の血を継ぐラーメンらしい。「鶏と醤油で食わす」みたいなことを書いていた。詳しくはよく分からんが、ここのラーメンがとにかくうまい。何がどううまいかは説明できないがうまい。スープに浸ったほうれん草がうまい。醤油濃いめの鶏ガラスープが光ってる。ガツンとハードな感じではない。あっさりとは言わないが、コッテリでもなく、マイルドな感じ。ご飯合う。白ごはんはいつも大盛りを食べる。

お腹いっぱいになりながら、パソコンを開いた。夜は映画館にでも行こうと予約したので、それまでに何か文章でも書きたいと思った。ブログを整理するときに一度公開をやめた、過去に書いた文章がいくつか溜まっていたので、少し校正して活用できないかと思った。下らない、中途半端な文章が明るみに出ず溜まっている。それなりにまとまった文章を見つけ現行のブログに載せた。SNSでシェアしているが、たぶん読まれていない。まあ書き続けるしかないよね。

新宿に向かう。少し前から観たい映画があって、「観たい」と思ったときには渋谷の夜の上映しかなく渋っていたのだが、新宿で上映してるのを発見した。『ヴィレッジ』という映画だ。閉塞的な村社会で、血縁の過去に囚われる主人公。ゴミの処理施設で働き、貧困、格差、差別に苦悩しながら、同級生の帰郷をきっかけに少しずつ生活は改善するが…、という内容である。

詳しくはいつか書きたいが、何より生きるというのは胸糞が悪い。胸糞が悪いことに耐えないといけない。侮蔑、搾取、差別、不公平、不条理。真面目に暮らしていると、損をする。その事実に不条理、虚無感、憂鬱を感じる。不条理から抜け出せない、救いがない。そんな気さえしてくる。どうやって乗り越えるかはよく分からないが、生きる行為に不条理的側面があるのは事実だと思う。ある種類の映画を観るたびにそれを感じさせられる。

映画のあとは、新宿三丁目をカメラを持って歩いた。30分ほど写真を撮って帰ろうと思った。飲み屋街は賑やかで今日が金曜日だと気付く。実質無職の生活をしていると曜日の感覚がなくなる。写真を撮りながら、人の声が耳に侵入してくる。しまった、イヤホンを忘れた。別に何か具体的な出来事がなくても、飲み屋からの人間の声が耳に入ってくると、どこか真面目な人間を嘲笑うような、人の生きる姿勢を見下すような、浮かれて冷静さを欠くトーンを捉えてしまう。僕も飲み屋に入ることだってあるし、批判的になってる訳じゃない。僕の解釈の仕方だけの話なのだが、どうも嘲笑、軽蔑な空気を感じてしまっている気がする。

ある人のグループが、そのグループの外全体を見下している、という現象が同時多発的にいろんなところで起きているような空気を感じることがある。映画を観たあとだからかもしれない。余計に人の声に敏感になってしまったし、余計に不要で事実無根な解釈をしてしまったのかもしれない。ある一つの事象というより、不条理を飲み屋街での全体的な雰囲気に勝手に紐づけてしまったのかもしれない。そして、帰りの駅では人と肩がぶつかり、わざと力を入れられたような気がして、さらに憂鬱になった。

帰ってピルクルを飲んで心を落ち着かせようとした。ツイッターで励ましてくれる人もいた。ゼリーやスイーツを食べたが、食べている間はまだ憂鬱だった。少し時間が経って、猫を抱っこしてお話をし、床に寝そべり天井をボーッと見て、呼吸に集中する。心が少し落ち着いた。そう、床に寝そべると気持ちが楽になることが最近分かった。布団で寝るのとは少し違う行為だ。何も敷かれてない床に寝転んで目を開けたままにする。携帯を触ってもいいけど、背中は床に付けておく。呼吸する。そうすると、少し気持ちが晴れる。

爽健美茶で薬を飲もうとしたが、爽健美茶が腐っているような味がした。開栓したが冷蔵してなかったらしい。うつ病になってからこういうことがよく起こる。腐った爽健美茶だけをすぐに吐き出して、別の飲む物で薬を飲む。薬もいつまで飲み続けないといけないのだろうか。

そういえばマッチングアプリで、散歩しながら写真を撮る活動をする人と、日記を送りつけてもいい人を探し始めた。どうなるか分からんが、好きなことを楽しむための活動をそれなりにゆるりとできているので、まあ良しとしよう。明日は午前中から布団を出る気力がありますように。(今見返したら想像以上に長く書いてて失敗した、と思った。まあいいか。)

2023/05/26